控訴審の尋問で傍聴席は満員!

本日1月25日、大阪高裁202大法廷で、宝島社裁判控訴審の尋問が行われました。
宝島社側の傍聴人もつめかけたので、入り口で傍聴券が配布され、90席分がなくなったそうです。中に入っての傍聴が出来なかった方もおられるようで、90名以上の傍聴人が駆けつけたことになります。

裁判官は、まずはじめに宝島社を訴えた裁判と、編集者を訴えた裁判は1審で別々に進められてきたが、併合して審理を行う旨述べました。

始めに宝島社側の証人、小林氏に対する尋問、続いて控訴人である村上さんに対する尋問が行われ、10分休憩のあと、被告人の一人、角田氏に対する尋問が行われました。

主に、
・本の帯(「体を売るしかない」などと書かれた)は誰が作成したのか、それは差別的なものなのか?
・本の企画はいつ、どのようにして決まったのか?企画書はあるのか?企画についての意思疎通は図られていたのか?村上さんと角田氏との間で、企画のコンセプトについてどのぐらい共通認識があったのか?
・著者とされる方々での意思疎通、および編集長である小林氏との意思疎通はどの程度であったか?原稿の構成において、どのぐらいのやりとりをしたおか?

・村上さんの書いた原稿について、誰が改変したのか?村上さんが修正してほしいということについて、どのぐらい伝えたのか、伝わっていたのか?原稿修正の最終責任者は誰になるのか?
・村上さんが「出版からおりたい」「名前を出さないでほしい」との申し出があった時、どのような対応をしたのか?電話の対応の中で「損害賠償1000万円!」が出たのはなぜか?それはどういう意味か?

・著者名を「村上薫、川澄恵子」と決めたのはいつか?変更ができなくなったのはいつか?(出版業界で言う「部決」をしたのはいつか?)「川澄恵子」なる女性ライター(前田某)が角田氏の原稿をリライトしたことを、角田氏はいつ知ったか?リライトによって角田氏の原稿はどのくらい変わったのか?女性ライターは大阪に来て取材をしたのか?

というようなことが、双方の代理人から問われました。
その中で、
・「本の帯」というのは出版社の編集者が決めるもので、著者と相談して決めるものではない。
・出版原稿の最終稿は、著者にみせるものではない。
・対面でインタビューをしなくても、ネット等で調べるのも”取材”である。
・「企画書」というのは宝島社の中での稟議のためのもので、角田氏や村上さんのような外部のライターに見せるものではない。
・「部決」は出版日のおおむね3週間前(今回は2月10日が出版なので、1月20日ごろ…本になる原稿の修正や出版から降りる、名前を出す、出さないの話が出てきたのと同時期になる)内容は著者と相談して決めるようなものではない。(以上、小林氏証言)
・村上さんの原稿の修正で問題となった「(コロナ流行拡大は)中国人観光客のせい」などという表現は、村上さんの原稿にもとからあった。(角田氏証言…実際は「(コロナ流行拡大は)資本家のせい」となっており、嘘である)
・宝島社内の「企画書」の他に、別の企画書がある。(角田氏証言…おそらく宝島社内で「企画書」を作るための下書き的なもの。これは裁判所に証拠として提出されていない。また、この企画書を使って著者間の意思統一をはかることは可能)
また、本のコンセプトについて、村上さんが考えていたコンセプト(ミナミの街の夜職で働く女性の貧困や困難について政治的、社会的解決を求めるための出版)について、角田氏に文書で説明することはなかったが、キュア相談所の活動などをみて角田氏がそう理解していたことは、こちら側の代理人による角田氏への尋問で明らかにされました。

全般的に、小林氏や角田氏は当然、出版業界での慣行や仕事の進め方について”詳しい”わけですが、裁判官も含め多くの人はそうではない…なのにこちら側の代理人がそれについて”よく知らないから”と言って、業界の慣習や仕事の進め方について等々と述べ「勉強してください」などと上から目線でものをいうところが目立ちました。心象的にどうなのでしょうか?
村上さんは、そのような質問についても、堂々とした受け答えをされていました。

3時間半にわたる尋問は終了し、裁判官から「判決は5月15日 午後3時にこの法廷で行います」との申し渡しがありました。

終了後、弁護士会館での集会で、経緯と本日の感想などが述べられました。

本の帯や原稿について、帯を著者と相談して決めるケースもあるし、参加したジャーナリストから原稿は何回も校正し、やり取りをするので「最終稿を著者に見せない」ということはあり得ないなどの発言もありました。

それでは皆さま、5月15日の判決に結集しましょう!

宝島社『大阪ミナミの貧困女子』差別出版裁判

絶版と謝罪を求める